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今月の1点 Monthly Pickup 5月

《四季遊観 納涼のほたる》 歌川国芳(うたがわ・くによし 1798~1861)

(読み方:しきゆうかん すずみのほたる)
1843—47(天保14—弘化4)年 木版(多色)・紙 大判錦絵三枚続 《茅ヶ崎市美術館蔵(藤間コレクション)》

 歌川国芳_5月1点.jpg

 

江戸時代に刊行された、文芸、学問、娯楽、芸能、飲食店などの人気度・評判をまとめた書物を「評判記」といいます。その1853(嘉永6)年版の『江戸寿那古細撰記<ルビ=えどすなごさいせんき>』の「吾妻錦」(浮世絵)の部では、上位三者を豊国、国芳、広重と歌川派が占めています。また豊国には「にかほ(似顔)」、国芳は「むしゃ(武者)」、そして広重は「めいしょ(名所)」と添え書きがあり、各人の得意分野が示されています。
たしかにここに挙げられた豊国(三代)は師である初代豊国同様役者絵(芝居絵)を得意とし、また美人画にも優れ、評判記の言う「似顔」つまり人物描写で評価があり、広重(初代)にしても東海道や江戸名所などを多く手がけ、先輩絵師の葛飾北斎とともに浮世絵における風景画の分野を確立したことで知られています。
ではこの作品の作者・国芳はどうでしょう。
12歳で描いた鍾馗図を見た初代豊国はその画才に驚嘆したといい、その後1811(文化8)年に15歳で初代豊国門下になった(実際は兄弟子の国直のもとで修業したともいわれる)国芳ですが、作品が世間から注目を集めるまでには歳月を要し、1827(文化10)年頃から刊行された「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」のシリーズが評判を呼び、武者絵の名手として一躍人気絵師の仲間入りを果たします。
しかし国芳の活躍の場は武者絵のみにとどまりませんでした。西洋画風を採りいれた風景や人物表現、天保の改革のあおりで役者が描けなくなれば土壁に描かれた落書きを「写した」態<ルビ=てい>のヘタウマ役者似顔、そして政道批判ぎりぎりの諷刺画、愛してやまない猫をはじめ、金魚やカエルなどの小動物を擬人化した戯画などなど。進取の気性や反骨心、洒脱なユーモアセンス、そして小さきものたちへのあたたかい眼差し。同時代の江戸っ子たちは時に奇想天外な国芳の錦絵を愛好すると同時に、同じ江戸っ子・国芳その人にも喝采を送っていたのでしょう。
そして特筆すべきはこの作品にみられる美人画です。
勇壮な武者絵とは対極といえる嫋々<ルビ=じょうじょう>たる世界。風になびく尾花(ススキ)や桔梗、女郎花(オミナエシ)。年若い娘は掌<たなごころ>に蛍を包み、振袖を翻して虫籠を持つ女性に駆け寄ります。 
向きあう人を心地よい初夏の夜に誘<いざな>う、この錦絵(浮世絵)。じっと見入れば川の瀬音や彼女たちの笑いさざめきが聞こえるかもしれません。
この作品は市内柳島の旧家・藤間家に伝わった200点を超える浮世絵の中の一点です。2017年に美術館に寄贈されたこれらの「藤間コレクション」の大部分は役者絵(芝居絵)が占めていますが、本作は美人画中の優品のうちのひとつです。

 

※現在、この作品は展示されていません 

 

(美術館 N.Y) 

<略歴 >

1798(寛政9)年、江戸日本橋本銀町<ほんしろがねちょう>(現・東京都中央区日本橋本石町<ほんごくちょう>)に生まれたとされる。本名・井草孫三郎(幼名・芳三郎<よしさぶろう>)。1811(文化8)年、初代歌川豊国に入門。国芳の画名を与えられる。また、勝川春亭に学び、葛飾北斎にも私淑した。後年、三代堤等琳<とうりん>にも学ぶ。一勇斎<いちゆうさい>、朝桜楼<ちょうおうろう>などと号した。武者絵で名高いが、美人画、役者絵、諷刺画、戯画、風景画など作域は広い。向意気が強く天保の改革の折などには幕政を諷刺する作品を刊行して大衆の支持を得る。また、猫を愛玩し、擬人化した戯画も多い。1861(文久元)年、歿。

 

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