今月の1点 Monthly Pickup 3月

《丁子の花咲く頃》 井上有一(いのうえ・ゆういち 1916~1985)

(読み方:ちょうじのはなさくころ)
1949(昭和24)年 水彩・紙(58枚) 縦26.0×横19.0(cm) 《茅ヶ崎市美術館蔵》

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人の両手を広げた程の大きさがある漢字一文字の作品「一字書」で世界的に知られる書家・井上有一。茅ヶ崎に居を移す1年程前、当時の勤務先であった横川国民学校(墨田区立横川小学校の前身)で有一は東京大空襲に遭いました。火の粉が舞い、辺り一面あっという間に火の海と化した校舎で、迫り来る死に対する恐ろしさよりも呼吸することだけを考え、空気を求め飛び込んだ階段下の物置で有一は気を失いました。半日後、軌跡的に一命をとりとめ意識を取り戻した時には、同僚も教え子も亡くし、一千体の死体を目の当たりにしたといいます。その時の惨状は、その後の教員人生の中でもたびたび教え子に伝えられ、代表作である《噫(ああ)横川国民学校》(1978年 群馬県立近代美術館蔵)にも記されています。

1946年1月、親戚を頼り茅ヶ崎の南湖に越してきた有一は、茅ヶ崎第一国民学校(現・茅ヶ崎小学校)の教員となりました。そして、この茅ヶ崎で初めて卒業生として世に送り出した教え子たちを描いたのが本作です。はにかむように立つ女の子、まっすぐな視線を送る男の子、ポケットに所在なげに両手を突っ込む子など、優しい色と軽やかな筆使いで描かれた六十四名の肖像画からは、子ども一人一人の性格まで伝わってくるようです。これらは有一の手によって和綴じされ、亡くなるまで手元に置かれていました。そして、本作に描かれた教え子たちの手には、一層丁寧に描かれた本人の肖像画と一人一人に向けた論語が書かれた色紙が渡されました。

短気で、子どもたちに対しても大声でよく怒鳴ったという有一ですが、教え子から聞く授業のエピソードや卒業文集に寄せた言葉からは、子どもたちの未来を思う気持ちと、いま生きていることそのものに対する尊敬の念が強くあったことが伺えます。

生涯かけ「書」と葛藤しつづけた有一が、この地で教員とし子どもたちと生きた姿が本作からは垣間見ることができます。


※この作品は、「藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町美術展『井上有一 湘南の墨跡展』」[会期:2014年12月7日(日)~2015年2月1日(日)]、
 「春季収蔵作品展 ―花染め―」[会期:2018年2月11日(日・祝)~3月18日(日)]に展示されました。

 

(美術館 H.F) 

<略歴 >

井上有一(いのうえ・ゆういち)[1916(大正5)~1985(昭和60)年]
東京下谷に生まれる。画家を志すが書に転じ上田桑鳩に師事。
1945年、勤務していた横川小学校で東京大空襲に遭遇。1946年、茅ヶ崎町に移住。以後41年間にわたり茅ヶ崎市、寒川町で教職に就く。この間、長谷川三郎(画家・評論家)に師事。1952年、森田子龍 らと「墨人会」を結成。1957年、第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品。1965年、ドイツ、ヴッペルタール美術館で個展。1975年、寒川町倉見 に自宅を新築、狼屋敷と名付ける。1985年没(69歳)。2000年、「生きた書いた 井上有一展」茅ヶ崎市美術館。2013年、シャルジャ・ビエンナーレ11に出品される。2014年、藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町美術展「井上有一 湘南の墨跡展」茅ヶ崎市美術館。2016年、「生誕百年記念 井上有一展」金沢21世紀美術館など。

 

展示中に来館された描かれた教え子の方々と有一から貰った色紙

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