ご挨拶
「うつわ」のいろいろ
敷地の広さを知るのに歩いて確かめ、樹木の高さを測るのに空を見上げて見当をつける。そのように先祖は生活のなかで測量の技術を身につけましたが、事情は明治期を境に変わります。森鷗外の短編小説「普請中(ふしんちゅう)」(1910年)は明治期のホテルで会食する日本男子と西洋女子の邂逅(かいこう)が内容ですが、建物の外で通奏低音のように工事作業の音が響いています。歩道からホテルの食堂までの経路、室内の装飾、男女間の短い会話の様子が読者の頭の中で具体的な像として浮かんできます。鷗外はその時代の国家が近代化の途次にあることを云いたかったようですが、時空間を再現する文芸の新手法は続く近代芸術作品の誕生につながっています。
新都では議事堂、銀行、劇場と普請の槌音が絶えることなく、遂に美術館が建築されることになりました。一世紀半を経た今日のミュージアムは単なる箱ではなく、その内部で日々多様な文化が育くまれています。「美術館建築」展では最先端に立つ建築家たちが美術館の建物を自然環境と親和させること、地域ごとに異なる文化風土にも意を払い、柔軟な発想で「うつわ」としてのユニークな文化施設が造り出されていることを紹介します。
土と火の化学変化が生み出す陶磁器、内側が空洞である構造の「うつわ」は私たちの日常に最も近い存在です。わが国の焼物にこれほど関心がもたれるのはそれぞれ微妙に変化する表情に魅了されるからでしょう。生産地の土、陶工、茶人の好みで異なる陶磁器が愛されてきましたがこの世界に君臨したのが北大路魯山人です。「うつわの彩り」展では魯山人に師事した陶磁史研究者、評論家の𠮷田耕三(1915−2013)の知られざるコレクションを公開します。桃山期の豪放な茶器を思い出させる魯山人の作風は今なお、何者にも囚われないものづくりの自由を教えてくれます。
芸術の新思潮はかつて雑誌という「うつわ」に載せられ広く浸透しました。秋の企画展では明治、大正期の文芸雑誌『白樺』を特集します。自然主義思潮の洗礼を受けた若き文学者たちによる刊行物ですが自己形成に思い悩む彼らの関心が向かったのは近代西洋美術の作家ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、ロダンらの生き方でした。彼らを人生の師として仰ぎ、誌面では日本で未紹介の作品図版と評論を掲載し啓蒙につとめました。美術鑑賞、とりわけ西洋近代美術が人格形成に不可欠であるとの思想です。以後、今に至る西洋美術展にひとびとが集まることの原点はここにあります。

2025年4月
茅ヶ崎市美術館 館長 小川稔