美術館について

ご挨拶

さまざまな線

東京から適度の距離にある茅ヶ崎は明治期にその海浜地域が別荘地として開発されることになりました。地図上、この土地の南の周縁を区切って海岸線が記されるのですが、注目したいのはこのビーチラインが中世に神仏の世界への境界線であったように、近代においてもこの線上に錯綜する人々の思いがあったということです。実は江戸時代、押し寄せる外国船を警戒してこの浜辺に炮術調練場が置かれ、明治期にこれを引き継ぎ帝国海軍の演習地に、さらに太平洋戦争後は米軍に接収されて日本人が立ち入ることのできない軍事演習場となりました。つまり常に緊張を孕んだ危険な線でもあったのですが、このことはすでに忘れられています。明治末期、アメリカの婦人が三歳の男の子を連れて当地に移住し、海岸辺、この線上に小さな家を建てつましく暮らしたのですがこの少年が後の彫刻家イサム・ノグチに他なりません。イサムは地元の小学校にも通いましたが、13歳の時、一人この境界を超えてアメリカに帰ることになります。後年、世界的彫刻家は茅ヶ崎の海岸で過ごした多感な少年時代がアーティストを目指した原点であったと語っています。
今年度の企画展はイサム同様、日米の文化を背景にもつフランシス真悟の個展から始まります。偉大な画家であった父の国、南カリフォルニアから活動の拠点を鎌倉に移し、ふたつの文化の間に生まれる何かを平面作品を通して追求している現代作家です。シンプルな色面上に複雑な光が湛えられる作品ですが、よく見れば水平で意思的なラインが引かれています。展示室に満たされる不思議な光に包まれる経験を期待していただきたいと思います。

当館が建つ高砂緑地のかつての住人、明治期の俳優川上音二郎と妻貞奴が欧米興行で目指した最終目的地は1900年パリ万国博覧会でしたが、今夏、やはりパリで活動した画家アルフォンス・ミュシャ展を開催します。ミュシャほどわが国で愛されるポスター画家もいないでしょう。モラヴィア(現チェコ共和国)生まれのミュシャも貞奴同様、辺境の地から国際都市パリを目指し、ここで優美な線的表現を特徴とするアール・ヌーヴォー様式の隆盛に貢献したのですが、その名声を確立するきっかけは大女優サラ・ベルナールに依頼された演劇ポスターでした。サラ・ベルナールは1900年万博会場で人気を博した貞奴の公演を観劇したことも知られています。着物姿の貞奴が日本舞踊を披露したようにミュシャも出身地ボヘミアの民族性に訴えるデザインを展開しました。それぞれのアイデンティティをもって国境線を超え、インターナショナルな文化が形成されたことに注目したいと思います。

イサム・ノグチの巨大なモニュメントもあるハワイ、ホノルル市と本市は10年前に姉妹都市協定を締結しました。経済成長に沸き立つ昭和期、多くの日本人が憧れたハワイ旅行を賞品とする、サントリー社のキャンペーン「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が実施されましたが、この時生まれた愛すべきキャラクター、アロハシャツのアンクルトリスのイラストを覚えていらっしゃいますか。作者柳原良平は船の画家としても知られますが、今秋、ホノルルとの姉妹都市締結10周年を記念し柳原良平展を開催します。柳原船長による愉快な船旅をどうぞお楽しみに。

2024年4月
茅ヶ崎市美術館 館長 小川稔