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                  柳塘雨情りゅうとううじょう 


筆谷 等観(ふでや・とうかん 1875-1950)

1940(昭和15)年、紙本着色/軸装 130.8×32.8cm 《茅ヶ崎市美術館蔵》


筆谷等観「柳塘雨情」1940年
 

 等観がこの作品を描いたのは5月。春に芽吹いた草木の若葉が青葉へと移りゆく時期ですが、初夏を思わせるというより梅雨の情景を感じさせます。
 しとしとと雨が降り続いているようです。雨の描写がほとんどされていませんが、その様子が感じられるのは、雨を避けようと足早に橋を渡り、今にも左端の画面から消え去ろうとする傘を差した人物と、薄墨と淡彩によるぼかしの効果で描かれた柳の、湿気を帯びた空気が表現されているからなのでしょう。上空を飛ぶ二羽の燕は、そんなことも気にせず一生懸命に餌を探しているようです。
 タイトルにある「塘」は水を堰き止めて築いた堤や土手のことを意味します。その淵に沿って植えられた柳は、水辺に強い性質であることと、根がその地盤を強化し護岸の役割を果たすため、古くから岸辺に植樹されてきました。長く垂れた枝が風にゆれて動く様は水辺に映えとても風情があることから、古くから多くの人々に親しまれてきました。
 ちょうどこの作品を制作していた頃に発行された『美術日本』5月号(昭和15年5月15日発行)の「作家寸描」で、当時東京・杉並で暮らしていた等観の日常の生活が窺えます。「(前略)等観氏はどちらかと言へば花鳥風月を友とし、植木いぢりの悠々自適、感興本位の羨むべき日々の様に見うけられた、瘦軀そうく鶴の様とは言へないがさうした風格がたしかにある」
 等観の画題は、風景画から歴史画へと移行し、特にその制作には綿密な時代考証や研究がなされていました。それに比べるとこの作品は、筆の趣くまま自由に気負いなく描かれたように思います。庭先の自然を愛でつつその合間に描いたのでしょうか。

(美術館 S.T )

<略歴 >
現在の北海道小樽市に生まれる。本名儀三郎。1892年、画業を志し上京。東亜美術学校で横山大観に学んだのち東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学、橋本雅邦に師事し伝統的な狩野派の画法を学ぶ。1814年、再興された日本美術院の第1回展に入選して院友に、2年後には同人に推挙される。風景画を得意とし、仏教や道教にも主題を求めた作品を数多く描く。1950年、老衰のため茅ヶ崎市中海岸の自宅にて逝去。