今月の1点 Monthly Pickup 5月
 
 

        
             「江戸鹿子二人道成寺」えどかのこににんどうじょうじ  


四代目 歌川豊国 (二代目 歌川国貞)
よんだいめ・うたがわ・とよくに(にだいめ・うたがわ・くにさだ)
文政6[1823]〜明治13[1880]年


1862(文久2)年 木版(多色)・紙/大判錦絵三枚続 約37.0×75.0cm
《藤間家所蔵》


四代目歌川豊国《江戸鹿子二人道成寺》1862年
 

九代目市川團十郎
〈京鹿子娘道成寺〉白拍子花子役の九代目市川團十郎



 6月9日まで開催中の「藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵」からの一点です。
 茅ヶ崎馬入川の河口、柳島村の名主で廻船業を営んでいた藤間柳庵(1801−1883)は茅ヶ崎と領主の江戸屋敷との間を行き来しながら自らの学問教養を深めることに熱心な文人でもありました。
 芝居見物も単なる娯楽ではなく同時代の世相を知るための情報源だったのでしょう。絵草紙屋で売られたこうした錦絵は家族のための江戸土産、贔屓ひいき役者のブロマイドであり、興行の告知チラシの役割もあったでしょう。、印刷物エフェメラとして大量に刷られた芝居錦絵でしたが大切に保存されてきた藤間コレクションは今となっては貴重な演劇資料というべきです。
 今春華々しく開場した新装歌舞伎座「こけらおとし五月大歌舞伎」では玉三郎と菊之助が〈京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)〉を踊っています。相似形のイメージふたつが舞台で離れたり重なったりする現代的な演出が見ものでしょう。昔も今も観客は舞台上の美に理屈を忘れ、ただうっとりしたいのです。踊りは情緒纏綿てんめんたる満開の桜の下で展開しますがその伝説自体はいつの世も変わらぬ悲劇的な恋愛物語を抱えています。女形役者が何度も衣裳を変えながら鐘の上でおどろおどろしく蛇に変身し大詰めにいたる変化物所作事へんげものしょさごと(舞踊劇)の人気演目で〈二人道成寺〉はその数多いヴァリエーションのひとつです。
 今回ご紹介する《江戸鹿子二人道成寺》は文久2(1862)年市村座9月の出し物を大判3枚続の錦絵にしたもの。所化しょけ二人をはさみ合せ鏡のように立つ女形は桜子役の四世中村芝翫しかんと花子役の河原崎権十郎ごんじゅうろうです。芝居小屋に両花道を設け当代の人気役者二人を競わせる仕掛けだったのでしょう。記録によればこの時は容姿にすぐれた芝翫に分があり、汗だくの権十郎に対し芝翫は涼しい顔で踊り通したそうです。しかしその後権十郎は精進を怠らず技芸を磨き人気を逆転させました。この河原崎権十郎こそ後の九代目市川團十郎だんじゅうろう(1838−1903)に他なりません。
 芝居も踊りも万能、劇聖と称えられた九代目でした。強烈な役者魂が面構えに現れ立役として存在感があった一方、写真でもわかるようにけして美形とは言えない娘役ですが舞台に立つと見違えるようだったと伝えられています。
 幕末明治期の千両役者として華やかに活躍した九代目市川團十郎ですが実兄の八代目が割腹自殺したり養父が強盗に殺害される現場に居合わせたりと意外にもその人生には凄惨な悲劇がまつわりつきます。
 九代目といえば最晩年を過ごした茅ヶ崎とのかかわりをご存知の方も多いでしょう。しかしそれはまだ三十年ほど後のこと。柳庵も贔屓の権十郎が自分亡き後の茅ヶ崎で人生最後の日々を送ることなど夢にも思わなかったのではないでしょうか。

(美術館 M.O )

<略歴 >
四代目歌川豊国(二代目歌川国貞)文政6(1823)−明治13(1880)
師・初代歌川国貞。はじめ三代目歌川国政(別名・梅堂)、ついで二代目歌川国貞(同・一寿斎、梅蝶楼)、明治に入り四代目歌川豊国(同・香蝶楼、一陽斎、宝来舎)を襲名。師・初代国貞の女婿。

■茅ヶ崎市美術館開館15年・藤間柳庵歿後130年記念企画展
  藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵
会期:2013年4月21日(日)〜6月9日(日)