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                    尾長鶏之図


川上 貞奴 (かわかみ さだやっこ) ( 1871‐1946 )作



1940(昭和15)年、絹本墨画彩色、122.7センチ×33.8センチ
早稲田大学演劇博物館蔵


尾長鶏之図
 

 川上貞奴本人の手に成る作品です。
 日本初の女優としてその名を知られる貞奴は、明治・大正・昭和という激動の時代を鮮やかに強かに生き抜き、この国の歴史に光彩を与えた才ある女性の一人です。
 政財界の大物たちから贔屓にされる売れっ子芸者「奴」、世界の名だたる芸術家たちにインスピレーションを与えるミューズ「マダム・サダヤッコ」、そして夫・音二郎とともに日本の近代演劇のパイオニアとなった女優「川上貞奴」。
浮き沈みはあるものの、常人には経験し得ない華やかで刺激的な世界を生きた貞奴ですが、それ故にこそ、静かに絵絹と向き合う時間を欲したのかもしれません。実際に絵筆を執るようになったのがいつ頃のことか判然とはしませんが、少なくとも、落ち着いて制作に臨めたのは芸道の第一線から退いた後のことと思われます。
 貞奴が師事したと言われる成木星洲は、田能村直入に南画を学び、後半生を名古屋で過ごした画家です。音二郎亡き後、物心両面で支えとなった福沢桃介との生活を貞奴が名古屋で始めたのは、47歳の時でした。新たな学びの機会は、彼の地で刻む第二の人生とも言うべき日々の大切な彩りの一つとなったことでしょう。
 松の枝に留まる1羽の尾長鶏。土佐の地で生まれたこの鶏は、現在は国の特別天然記念物に指定されています。凛としたその美しい立ち姿は、まさに鑑賞される為に存在しているかのようです。貞奴が尾長鶏を飼っていたという明確な記録はありませんが、少なくとも鶏を飼っていたことはあるようです。
純粋に画題として魅力的な対象であると思ったのか、それとも鑑賞される側にいた自身に姿を重ねてみたのか。或いは、夜明けを呼び込む「時告げ鳥」の力を頼んだのか。
 貞奴が本作を描いた前年には第二次世界大戦が勃発、時代は暗さを増すばかりでした。既に桃介も他界しており、貞奴は東京で静かに暮らしていたといいます。
 本作は、企画展「音二郎没後100年・貞奴生誕140年記念 川上音二郎・貞奴展」にて11月27日まで展示されています。

(美術館 J.K )

< 略歴 >
1871年現在の東京日本橋に生まれる。本名・川上貞(旧姓:小山)。74年芳(葭)町の芸者屋の養女となる。87年「奴」を襲名、伊藤博文や西園寺公望らに特別な贔屓を受ける。91年川上音二郎の書生芝居を観劇、それがきっかけで94年に結婚。夫婦二人三脚で近代演劇への道を邁進していく。99年川上一座の欧米巡業にて女優デビュー。1900年パリ万博会場内にて公演、マダム貞奴の名が広まる。02年茅ヶ崎に移住、翌年女優第1号として日本の舞台に立つ。11年音二郎逝去。17年引退興行、翌年から実業家・福沢桃介と名古屋で暮らす。25年川上児童楽劇園設立。33年岐阜に自身の寺を建立。38年桃介逝去。46年熱海の別荘で逝去、享年75。