今月の1点 Monthly Pickup 8月
 
 

        
                    柿とざくろ


山下 大五郎 (やました だいごろう) ( 1908‐1990 )作

1937(昭和12)年、油彩・キャンバス
16.2×23.0センチ


柿とざくろ
 

 現在の藤沢市に生まれた山下大五郎は、神奈川県立湘南中学校(現・湘南高等学校)に第一回生として入学します。少年時代から絵を描くことが好きだった山下は、遊行寺(時宗総本山・藤沢山無量光院清浄光寺)の塔頭・真浄院の長男で藤沢中学校(現・藤嶺学園藤沢高等学校)の学生であった原精一と親交がありました。山下と同年生まれの原は、共に絵画制作に励んでいた藤沢中学の先輩、鳥海青児や吉川清、同級生の森田勝らを山下に紹介。また、茅ヶ崎町(現・茅ヶ崎市)南湖にあった萬鐵五郎のアトリエに山下を伴ったのも原でした。
 山下が萬のアトリエを訪れた翌々年(1926年)の5月には、萬は41歳5ヶ月で病死しているため、直接指導をうけた期間は長くはありませんでした。しかし、暗褐色を基調に、色数を抑えて描かれた山下の初期の作品からは、萬の影響をうかがうことができます。

 現在開催中の常設展「夏季収蔵作品展―2008〜2010年度収蔵作品による―」[会期:2011年7月24日(日)〜9月4日(日)]では、二点の山下作品を展示しています。
 この「柿とざくろ」と1951(昭和26)年に描かれた「五月の庭」。これら二点の作品の間には戦争という暗い川が横たわっています。山下は1944(昭和19)年に歩兵補充兵として応召、中国大陸に渡ります。戦争は翌年の8月に終結しますが、山下はソビエト軍の俘虜となり、カスピ海沿岸に抑留され、ふたたび故国の土を踏むことができたのは敗戦から3年後の1948(昭和23)年のことでした。

(美術館 N.Y. )

< 略歴 >
1908(明治41)年、現在の神奈川県藤沢市に生まれる。1921(大正10)年、神奈川県立湘南中学校(現・湘南高等学校)入学。1926(大正15)年、東京美術学校(現・東京藝術大学)図画師範科入学、田辺至に師事し林武の指導をうける。1929(昭和4)年、東京美術学校を卒業し、神奈川県奈珂中学校(現・神奈川県立秦野高等学校)に図画教師として赴任。平塚に転居。1932(昭和7)年、画業専念のため教職を辞し上京。1937(昭和12)年と39(同14)年の二度、文部省美術展覧会(新文展)で特選。1942(昭和17)年、新文展に無鑑査出品。1944(昭和19)年、応召。1948(昭和23)年、帰国。1949(昭和24)年、官展をはなれ、同志6名と立軌会を創立。1953(昭和28)年、選抜秀作美術展に出品。1964(昭和39)年頃より日本各地の風景をモティーフとする。1978(昭和53)年頃より信州・安曇野の風景を描きはじめる。1990(平成2)年5月13日、直腸癌のため逝去。