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        「 東京風景 四ッ谷荒木横町 」


土屋 光逸 (つちや こういつ) ( 1870‐1949 )作

1935年、木版(多色)・紙
36.2センチ×23.8センチ


四ッ谷荒木横町
 

  四ッ谷の荒木町は、美濃高須藩主、松平摂津守の屋敷跡に生まれた町です。津の守坂などの名称に、今でもその名残を見ることが出来ます。
  明治の世には滝や池を有する景勝の地として賑わい、やがていわゆる三業地(料理屋、待合茶屋、芸者置屋の営業が許可された地域)として発展しました。「津の守芸者」と呼ばれた荒木町の芸者の数は、最盛期には200人を超えたといいます。
  日も沈み、薄闇に陰を濃くする日本家屋の風情ある佇まい。窓や格子戸から洩れ出る優しいオレンジ色の光は「そこに人がいる」ことの象徴のようでもあり、温かみを感じさせます。
  御神燈の丸提灯が吊り下げられた戸口から出てくる着物姿の女性二人は、これから御座敷へと向かう芸者衆でしょうか。愛らしい花かんざしや丸みのある髷(まげ)の形、華やかな振り袖の様子等から半玉(京都等で言うところの舞妓)のように見えます。二人ともこちらに顔を向けてはくれず、それが光と影の表現の効果と重なり合い、穏やかながら謎めいた雰囲気を漂わせて興趣を添えています。
  浮世絵の伝統的な制作工程を守り、かつ新しい時代の表現を以て生み出された「新版画」。土屋光逸は、この「東京風景」シリーズのように、新版画のなかでも特に風景画の分野で非常に人気のあった画家でした。

(美術館 J.K )

< 略歴 >
1870年、現在の静岡県浜松市に生まれる。本名は佐平。84年上京、寺修行ののち印刻師の門弟となる。86年小林清親の内弟子となり、以後十数年家族同様に生活(1903年結婚、小林家を離れる)。1918年再婚、22年夫人の郷里である現在の茅ヶ崎市南湖に転居。32年、第3回現代創作木版画展覧会(渡邊版画店主催)に出品。以後土井版画店、渡邊版画店等より作品刊行。また、版画の原画のみならず肉筆画も制作。作品は海外に輸出されたが、戦争により注文がなくなり、終戦前後には戦死した兵隊たちの肖像画を描くなどして生計を立てた。49年、肺炎のため茅ヶ崎の自宅で逝去。99年、茅ヶ崎市美術館企画展「風光礼讃 土屋光逸展」開催。