今月の1点 Monthly Pickup 9月
 
 

        
                「 高架線の下 」


菅野 陽 (すがの よう) ( 1919‐1995 )作

1943(昭和18)年、紙本着色、186.0センチ×125.0センチ
平塚市美術館蔵


高架線の下
 

 菅野陽は戦後を代表する銅版画家の一人でしたがむしろ、後半の活動の中心であった銅版画研究者、著述家としての方が知られているのかもしれません。
 今月当館では最晩年を茅ヶ崎で過ごした菅野陽の生誕90年を記念する「銅版画家・菅野陽―創生の海―」展(9月6日〜11月8日)を開催いたします。
 菅野の画業は戦時中、東京美術学校日本画科ではじめられました。入営のため繰り上げ卒業となり、その時の卒業制作がこの作品です。今回、新発見の下絵(茅ヶ崎市美術館所蔵)とともに展示されます(展示期間=9月6日〜10月12日)。綿密に描かれた下絵にはいかにも理論派菅野らしい特徴がすでにあらわれているようです。
 明日をもしらぬこの時期、菅野だけでなく美術学生は一作一作に特別の思いを込めて制作したに違いありません。ですから24歳の菅野の《高架線の下》は画家としての出発点であると同時にその時点での画業の総決算として、何かしらのメッセージを後世に伝えるための作品であったのかもしれません。
 静かな絵です。ある種の重苦しさや緊張感は時代背景もあるのでしょう。しかしどんな時代でも多感な美術学生は青春の過ぎゆく一瞬一瞬にかけがえのないリアリティを鋭敏に感じ取るものです。高架橋は都会の忙しく動く交通の要所で多くの人が交差する喧騒のスポットです。ところがここには人影も季節や自然を暗示するものも描かれていません。画家の視線は橋の下に向けられ、ひたすらゆっくり流れる低い水面とそこに差し込む光線をみつめています。2年後、菅野は自分が育ったこの街が空襲で壊滅するのを目撃することになります。

(美術館 M.O )

<略歴>
1919(大正8)年台湾生まれ、東京に育つ。慶応義塾大学を中退し、東京美術学校日本画科に入学。油画科の一年上級に駒井哲郎がいた。戦後は銅版画を制作するとともに『銅版画の技法』『日本銅版画の研究 近世』を著すなど研究者としても活動する。1995(平成7)年茅ヶ崎にて没(76歳)。