今月の1点 Monthly Pickup 8月
 
 

        
          「 東京十二題 深川上の橋 」


川瀬 巴水 (かわせ はすい) ( 1883‐1957 )作

1920(大正9)年、木版(多色)・紙、
24.1センチ×36.2センチ


東京十二題 深川上の橋
 

 画面におおきくとらえられた上の橋(かみのはし)の奥には、隅田川を遡上する帆掛舟と墨田川西岸(現在の中央区日本橋箱崎町あたり)の家並みが描かれています。
 上の橋が架かるのは江戸時代初頭の17世紀前半に開削された仙台堀川で、橋はその西端の隅田川との合流部に位置していました。
 仙台堀川の名の由来は上の橋北詰付近一帯が仙台藩松平家の広大な蔵屋敷であったことにちなんでいます。
 この橋が初めて架けられたのは1641(寛永18)年頃とされていますが、巴水が描いたものは1898(明治31)年に架設された長さ20間(約36メートル)・幅3間(約5.4メートル)の木製橋です。
 現在、隅田川との合流部付近の仙台堀川は1984(昭和59)年の清澄排水機場開設にともない暗渠となり、上の橋も1930(昭和5)年に架けられた鋼鉄製のアーチ橋の親柱(橋の両端左右にある橋名などを表示した柱)が残されているだけです。
 戦後、治水工事や交通事情の変化によって東京の水路のおおくが埋め立てられ暗渠となってしまいました。さらに都市化の進行によって街並みが一変し、浮世絵や巴水などの作品に描かれたような情緒ゆたかな水辺の風景は次第に姿を消してゆきました。

(美術館 N.Y )

< 略歴 >
1883(明治16)年5月18日、現在の東京都港区新橋に糸組物職人で洋傘の製造販売を営む川瀬庄兵衛の長男として生まれる。本名・文治郎。はじめ川端玉章門下の青柳墨川や荒木寛友に絵の手ほどきをうける。1908(明治41)年、家業を妹夫婦に譲り本格的な絵画修業を志し、日本画家・鏑木清方に入門を希望するも許されず洋画学習を勧められたため白馬会葵橋洋画研究所にて岡田三郎助の指導を受ける。1910(同43)年、念願が叶い清方門下となる。1918(大正7)年、同じ清方門下である伊東深水の〈新版画〉「近江八景」に刺激され風景木版画の画家となることを決意。以降、死の直前まで渡邊木版画店などから日本各地の風景を題材とした作品を多数刊行。この間1933(昭和8)年、日本美術協会展で銅賞牌受賞。また1953(昭和28)年には文化財保護委員会の委嘱による木版画技術記録作成に協力する。1957(昭和32)年11月7日、歿。

*〈新版画〉とは、版元の監督の下、画家が描いた原画により木版を彫
  る彫師とそれを摺る摺師の分業  体制によって制作されるもので、
  大正期に渡邊庄三郎によって提唱された。
* 本稿執筆にあたり、ウェブサイト「江東区内の橋めぐり」(http://www.
  mnagano.net/)の「上之橋」の項を参照させていただきました。