今月の1点 Monthly Pickup 12月
 
 

                 
        「 室生犀星の詩(小景異情 その二) 」



井上 有一 (いのうえ ゆういち) ( 1916‐1985 )作

制作年不詳、墨・紙/二曲一隻屏風
66.0センチ×164.8センチ


室生犀星の詩(小景異情 その二)
 

  井上有一といえば、漢字一文字を大きな紙いっぱいに書いた、力のこもった作品がおもいうかびますが、今回とりあげたこの作品は、それらとは趣を異にしています。
 金箔地の屏風に室生犀星(むろう・さいせい 1889〜1962)の詩が書かれたこの一点は、有一の作品のなかでも珍しいものといえるかもしれません。

 北陸・金沢生まれの犀星は、俳句・詩・短歌・小説・随筆など幅広い分野での創作活動をおこないましたが、もっとも多くの人々に知られているのは、詩集『抒情小曲集』に収められたこの詩でしょう。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや

 詩の原文です。 井上有一の作品と較べると、 ところどころに漢字や仮名(かな)表記の相違がみられますが、字句の細かな差異にこだわることなく、詩を口ずさみつつ一心に筆をとる有一の姿がうかんできます。

(美術館 N.Y )

< 略歴 >
東京・下谷二長町(現・台東区台東)に生まれる。現在の東京学芸大学の前身のひとつである東京府青山師範学校を卒業し東京市横川尋常小学校(現・墨田区立横川小学校)の教員となる。画家を志し画塾や研究所に通うが1941年、書に転じ上田桑鳩(そうきゅう)に師事する。45年3月、宿直中に東京大空襲に罹災。この空襲体験から後年「嗚(ああ)横川国民学校」「東京大空襲」などの作品を制作する。46年、茅ヶ崎町第一国民学校(現・茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校)教員となり茅ヶ崎に移住。その後、市立第一中学校、同松林中学校で教諭を務め、寒川町立寒川中学校教頭をへて、同旭小学校校長となり76年まで教員生活をおくった。この間、50年から翌年にかけて書道芸術院展や日展、毎日書道展などに出品するが、52年に同志5人により〈墨人会〉を結成して上田桑鳩門を離れる。以降、墨人会会員展や同会公募展、日本現代書展などに出品したほか、またサンパウロビエンナーレやドイツ・カッセルのドクメンタなど国際的な現代美術展の招待作家に選ばれている。