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             「 遊ぶ 」        
 


岡本 太郎 (おかもと たろう) ( 1911‐1996 )作

1961年、油彩・キャンバス
東京国立近代美術館蔵


遊ぶ
 

 茅ヶ崎市美術館では、今年最初の企画展として<岡本太郎のまなざし&湘南の原始美術展>を開催します。この展覧会は、日本のアバンギャルド芸術を代表する作家岡本太郎の≪眼≫によって拓かれた日本の原始美術の魅力を、彼の写真や絵画・彫刻とともに広く市民の皆さんに鑑賞していただこうというものです。
 岡本太郎は日本のモダンアートの先駆的かつ指導的位置をになう芸術家として知られています。彼は、20代に過ごしたパリ時代にすでにピカソの影響をうけた作品を発表していますが、国内で活動を始めるのは戦後の中国抑留時代をへた1947(同22)年からです。この岡本芸術に一つの転機が訪れるのは1951(同26)年秋、東京国立博物館の日本古代文化展で縄文時代の土偶や土器の造形を目の当たりにしてのことでした。翌年、『みづゑ』誌上に「四次元との対話―縄文土器論―」を発表し、原始の造形に内在する日本人の強烈なエネルギーを説いています。これが日本の考古学や美学・美術史に新たな視座を確立し、また原始美術のイメージによる作品を数多く制作することとなるのは周知のとおりです。その後、岡本芸術はさまざまなスタイルの変貌を遂げますが、1960年代にはいると「芸術は呪術である」「書は絵画である」などのスローガンのもとでカリグラフィックな作品を生み出しています。この作品はその時期を代表する作品の一つで、画面にあふれる黒の流動曲線は、当時の六〇年安保闘争における学生たちの若いエネルギーの投影ともみなされます。そのころ、彼は沖縄をはじめ日本の各地を訪れ、民族学的視点から多くの写真やエッセイ、芸術論をまとめていますが、このような岡本の民族固有の芸術への強い関心は、フランス留学時代にパリ大学で民族学を学んだことと無縁ではないともいわれています。

(美術館 K.A )

< 略歴 >
1911(明治44)年、神奈川県川崎市生まれ。1930(昭和5)年からパリに滞在。1932(昭和7)年ピカソの作品に衝撃をうけたことで抽象芸術を志す。1938(昭和13)年パリ大学入学。1940(昭和15)年帰国。帰国後は絵画、彫刻にとどまらず、デザイン、言論、テレビ出演と幅広い活動を展開し、人々に芸術家・岡本太郎を強く印象付けた。さらに縄文や沖縄の美を発見するなど、思想家としても後世に多大な影響をもたらした。1996(平成8)年に85歳で死去。展覧会、著書多数。代表作に「傷ましき腕」「憂愁」大阪万博のモニュメント「太陽の塔」などがある。