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「 帰り道 」
萬 鐵五郎 (よろず てつごろう) ( 1885-1927 )作

1923年頃作、紙本墨画、27.5×38.0cm、萬鉄五郎記念美術館蔵


 

 茅ヶ崎の昔を知る古老によれば、この作品に描かれている手前の道は、南湖にあった伴田(友田)の坂とのこと。伴田の坂は近所に住んでいた萬鐵五郎がよくモティーフにした場所です。
 ふだんはつつましい暮らしぶりであった萬でしたが、絵が売れて懐があたたかいときには、駅から人力車に乗って帰宅したと伝えられています。そのようすは丁度この作品に描かれているようなかんじだったのかもしれません。 この作品は、2007年2月25日(日)まで開催の企画展「歿後八〇年 萬鐵五郎〜東京/土沢/茅ヶ崎〜」で展示されます。
(美術館 Y.N )


< 萬 鐵五郎(よろず・てつごろう)略歴 >
1885(明治18)年、岩手県東和賀郡十ニヶ村(現、花巻市東和町土沢)に生まれる。実家は屋号を「八丁」と称し、農海産物問屋を営む大地主であった。小さいころから絵が好きで、高等小学校のころには日本画を独習。15歳で高等小学校を首席で卒業。18歳で上京。私立神田中学や私立郁文館をへて、早稲田中学校3年に編入。中学でも同好会で絵を描く。1904(同37)年、臨済宗両忘庵の参禅会に加わる。1906(明治39)年、21歳で早稲田大学高等予科に入学。同5月、禅の布教活動と絵画の勉強のため渡米、サンフランシスコ対岸のバークレーにボーイとして住み込む。同11月、アメリカから帰国。1907(明治40)年、東京美術学校(現、東京藝術大学)西洋画科予備科、そして本科に入学。予備科は28人中首席。1909(明治42)年、浜田よ志(淑子)と結婚。1912(大正元)年3月、東京美術学校卒業(19名中16番の成績)。同10月、第1回ヒュウザン会展出品。翌1913(大正2)年、第2回は「フュウザン会」展と改称。解散。1914(大正3)年9月、家族をともない土沢に帰る。1916(大正5)年1月、再び上京。1918(大正7)年、肺結核に罹患、合わせて神経衰弱気味となる。1919(大正8)年、療養のため茅ヶ崎にいた弟泰一のもとに赴き、9月、家族とともに、もと医者の住居(通称「茅ヶ崎天王山の木村別荘」)に住む。1923(大正12)年、円鳥会を結成。1926(昭和元)年、長女登美死去。1927(昭和2)年5月1日、結核性気管支カタルから肺炎を併発し、茅ヶ崎にて歿(享年41)。