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今月の1点 Monthly Pickup 10月

《クウ ハエ アロハ(わがいとしの旗)》 制作者不詳

ハワイ諸島、19世紀末〜20世紀初
木綿、平織り、アップリケとキルト(直線縫いと輪郭縫いキルト) 189.2×200.7㎝
ヘルムート・W・ホルマン氏寄贈、1989年

Ku‘u Hae Aloha (My Beloved Flag)
Unidentified Maker
Hawaiian Islands, late 19th to early 20th century
Cotton, plain weave, appliquéd and quilted (straight and contour quilting)
74″1/2×79″
Gift of Mr. Helmuth W. Hormann, 1989 (5783.1)

Photo: Shuzo Uemoto
Organized in collaboration with the Honolulu Museum of Art

 kuuhaealoha_p.jpg

 

茅ヶ崎市美術館では、100年以上も前にハワイで制作された貴重なハワイアンキルトを「ホノルル美術館所蔵ハワイアンキルト展 Across The Ocean」と題して11月5日(日)まで展示している。
一口に100年以上と言っても、100数十年の間には独立国家だったハワイ王国がアメリカ合衆国に併合され、ひとつの州となった歴史的な時間が含まれている。1778年にイギリス人の海洋探検家であるジェームズ・クックがハワイ諸島に上陸したことで、それまで数人の族長(アリイ)とタブー(カプ)によって秩序を保っていたハワイに西洋の近代文化が流入することとなった。
族長の一人カメハメハ一世は外交手腕に優れ、イギリスと協定を結び、輸入した銃器によってハワイを統一することに成功した。その後カメハメハの血族を中心とした王制が続き、やがてイギリスのマグナ・カルタを範とした立憲君主制が敷かれるようになった。ハワイに帰化した外国人や大型農場で資本を築いた白人らが政府の要職に就くようになり、次第にアメリカ系勢力が強くなっていった。1893年に白人のクーデターによって王朝が倒され、1898年にアメリカ併合、1900年にアメリカ合衆国の準州となった。ハワイ王国の国旗をモチーフにした「フラッグ・キルト」はその頃多く作られた。失われていく自らの母国に寄せる愛国心や望郷の念が根底にある。
ハワイ諸島の8つの島を表す8本のストライプとカメハメハ1世と強い繋がりを持ったイギリス国旗を取り入れたデザインは、現在のハワイ州旗とほぼ同じながら、旗に込める想いは当時と今とでは全く異なると言って良いだろう。他のハワイアンキルトが室内装飾や、時としてベッドカバーなど実用に使われたのに対して、フラッグ・キルトは家宝として大切に扱われてきた。また、かつては純粋なハワイアンしか作ってはいけないとされた特別な存在だったのである。周囲をハワイの国旗で取り囲まれた中央の紋様はハワイ王国の紋章(盾)とデビッド・カラカウア王の王冠とケープを組み合わせたもの。盾の右上と左下にある鍵穴のようなものは、タパ(樹皮布)で包んだ球を杖の上に載せた「プロウロウ」と呼ばれる聖なる結界を示す道具であり、中央のモチーフは交差した槍に三角形の布を垂らした、これも守護を示すシンボルである。表記されたハワイ語「KUU HAE ALOHA」は「わがいとしの旗」の意味である。
ホノルル美術館のテキスタイル担当学芸員、サラ・オカ氏によると、このキルトをホノルル美術館に寄贈したかつての所有者は、南カリフォルニアのパサデナ劇場で演劇史を教えていたヘルムート・W・ホルマン氏であり、実際にその劇場で長く掲げられていたという。図版ではわかりにくいが、キルトの左右で褪色に差があるのは、当時の展示状況を示すようで興味深い。
他のハワイアンキルトでも比較的早く美術館に収蔵されたものは鮮やかな色彩を保っているが、そうでないものは経年劣化や褪色が目立つという。
ハワイの歴史とともに歩んだ貴重なハワイアンキルトがこれからも長く人々にハワイの大地に宿るマナ(超自然的な力、精霊、魂)を伝えていけることを願ってやまない。

 

※このキルト作品は11月5日(日)まで茅ヶ崎市美術館で開催中している企画展「茅ヶ崎市制施行70周年 ホノルル市・郡姉妹都市締結3周年記念 ホノルル美術館所蔵ハワイアンキルト展 Across The Ocean」に展示されています。

 

(美術館 T.T) 

 

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