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《 花 》 青山義雄 ( あおやま・よしお 1894~1996 )

1995(平成7)年 油彩・キャンバス 縦60.6×横72.7(cm) 《茅ヶ崎市美術館蔵》

 

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 1996(平成8)年10月9日に102歳で世を去った青山義雄の絶筆です。
画業を志してフランスに渡ったのが1921(大正10)年。同年秋にはサロン・ドートンヌに入選を果たし、27歳にして新進画家としてのスタートを切った青山ですが、その作風は時代によって変化しています。
最初の渡仏、つまり画業の初期には物語性があり、幻想的な雰囲気の作品が多くみられました。また、1931(大正15/昭和元)年にリヨン美術館のシャヴァンヌによる壁画「古代の風景」を模写した青山は、自身も三人の裸婦を中心とした群像による大作「田園の裸の人々」(本展にて初公開)を描くなど、ヨーロッパ美術の本流ともいえる画題にも取り組んでいます。
 1935(昭和10)年に、ほんの一時帰国のつもりで日本に戻った青山は、日中戦争や太平洋戦争、その後のアメリカによる占領などさまざまな要因により、18年間日本に留まることを余儀なくされました。この時期の前半は、桜島や霧島などの九州地方、京都、北海道や別荘を構えた千葉の外房などの風景を描いていましたが、戦争により屋外での制作活動が制約されるようになると、青山は屋内で静物画を描きました。制約の多い、窮屈な時代でしたが、対象とじっくりと向き合うことにより、本展出品中の「静物」(1942年)のような、重厚な佳作も誕生しています。
 そして1952(昭和27)年5月2日、前月末のサンフランシスコ講和条約の発効を待ちわびていた青山は再び渡仏、師・マティスが住む南仏を拠点とします。戦争の抑圧から解き放された青山は、堰を切ったように色彩に満ちた作品を生み出しました。まるでコートダジュール(紺碧海岸)地域の陽光を閉じ込めたような作品は、フランスでの時を重ねてゆくごとに輝きを増してゆきました。
 92歳となった1986(昭和61)年には35年間過ごしたフランスから帰国。茅ヶ崎のアトリエで数多く描いたのも南仏の風景でした。しかし実景によらない南仏風景は、茫洋とした形態となることもありました。一方で1988(昭和63)年に作品制作の依頼を受けて一年間ニースに滞在した時期に描かれた作品は「シミエ風景」(1989年)や「バラのアーチ」(同)など、いずれも高い完成度を示しています。
 本作「花」が描かれたのは亡くなる前年、つまり101歳の時。一輪ずつの描き分けなど細部の描写は大づかみなものとなっていますが、マティスが認めた色彩は枯れることなく、充分その瑞々しさを保っています。

 

この作品は「マティスが認めた日本人画家 ―歿後20年― 青山義雄展」[会期:2016年4月3日(日)~6月5日(日)]に展示されています。

(美術館 N.Y)

<略歴 >

1894(明治27)年1月10日、現在の横須賀市に生まれる。三重県鳥羽、北海道の根室に転居。日本水彩画会研究所に学ぶが家庭の事情により中断。北海道に戻り肉体労働に従事したのち1921(大正10)年、渡仏。アンリ・マティスに師事し第二次世界大戦前後の時期を除いて南仏を拠点に制作活動を続ける。1986(昭和61)年に帰国し、以降は茅ヶ崎に住み制作。1993(平成5)年、60歳以上の優れた具象画家に贈られる中村彜(つね)賞を受賞。1996(平成8)年10月9日、茅ヶ崎徳洲会病院にて死去。
茅ヶ崎市美術館にて2006(平成18)年に企画展「色彩(いろどり)の詩人 青山義雄展」、2016(同28)年に企画展「マティスが認めた日本人画家 ―歿後20年― 青山義雄展」を開催。

 

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