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《 太陽のある地蔵 》 田澤 茂 ( たざわ・しげる 1925~2014 )

1991(平成3)年 油彩・キャンバス 縦131.0×横161.0(cm) 《茅ヶ崎市美術館所蔵》

2015_2gatsu_400.jpg画面一杯に描き込まれた数々の「地蔵」。しかしよく見ると微笑みを浮かべる童女のような姿があり、憤怒の形相をする者、不動明神のような格好で宝剣を携える者もいます。普段私たちが思い浮かべる「お地蔵様」の姿はそこにはありません。著しくデフォルメされた様子や激しく生き生きとした色彩表現、そして感情をむき出しにした顔の描写などに児童が描く絵画に共通したところがあるように思えます。
作者の田澤茂は1925(大正14)年、青森県南津軽郡光田寺村(現・田舎館村)大字川部に生まれました。1929(昭和4)年、北海道に転居。金山の土木作業員となった父とともに鉱山で働きます。1944年秋田の鉱山で働く頃から水彩画などを描くようになり、1948年に藤沢市辻堂に移り住むと、その3年後子供の絵画教室「どんぐり美術会」を開設し、以後長年にわたり湘南地域の子供の美術教育に携わりました。田澤はどんぐり美術会に従事する傍ら、猪熊弦一郎に師事し、新制作協会を舞台に国際展などでも活躍しました。茅ヶ崎美術家協会の主要会員として地域の美術文化の振興を図るとともに後進の指導にもあたりました。
一時期「同じ傾向の絵を3年続けて描くことはない」と述べていたように、1950年代から始まる本格的な画家生活の中で作風はたびたび変わりました。パラフィン(石蝋)を用いてレリーフのような凹凸ある作品を描き、白い下地にフェルトペンを用いて童画のように明るい作品を描き、地蔵や鬼、羅漢など画面を埋め尽くすように描きました。そうした作風の変化においても田澤が描く作品には、子供の頃故郷津軽で母や祖母にねだり夢中になって聞いていた、昔話を連想させる豊潤な物語性が横たわっています。
本作品《太陽のある地蔵》では、「地蔵」の顔を描いた小さな四角いブロックを規則的に配して緊密な画面を構築し、太陽の赤い輪を描き入れることで動きを与えるとともに画面全体を引き締めています。また、日本における一般的な解釈によれば、地蔵は子供の守り神、地獄の罪人を救う唯一の救済者です。子供好きで知られる田澤の作品世界の中では、地蔵と子供は同一の存在として扱われているようです。見方を変えれば、さんさんと輝く太陽の下で純粋に生命を謳歌する子供たちの姿にも見えてきます。ユーモアと明るさを感じさせる奔放な筆遣いに込められた、生命に対する確かな信頼こそ田澤作品の魅力です。
2015(平成27)年3月22日(日)まで開催する「春季収蔵作品展」では昨年11月24日に逝去された田澤茂の追悼展を兼ね、本作品を含めた当館所蔵の5作品すべてを展示しています。


 ( 美術館 T.T )

<略歴 >

田澤 茂 (たざわ・しげる) [1925(大正14)年~2014(平成26)年]
1925(大正14)年、青森県南津軽郡光田寺村(現・田舎館村)大字川部に生まれる。1929(昭和4)年、北海道に転居。金山の土木作業員になった父とともに鉱山で働く。1944年秋田の鉱山で働く頃から水彩画などを描くようになる。1948年に藤沢市辻堂に転居し、3年後子供の絵画教室「どんぐり美術会」を開設。以後長年にわたり湘南地域の子供の美術教育に携わる。1952年、茅ヶ崎でデッサン会を開いていた岡本喜久司と知り合い、岡本の紹介で新制作協会創立会員・猪熊弦一郎の純粋美術研究所に入所、猪熊に師事する。新制作協会を主な発表の舞台に会員として活躍する一方、茅ヶ崎美術家協会でも後進の指導にあたった。1960年頃から始まった、民話などをモチーフにパラフィンを用いて画面に凹凸をつける技法で評価を得て、フェルトペンなどの画材を自在に駆使し童画のように生き生きとした表現を試み、さらに後年には故郷津軽の情景や菩薩や地蔵、鬼などが凝集した色彩豊かで力強い独自の世界を描いた。


 

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