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《 南湖院全景絵葉書 》(7枚続きの部分) 上方屋平和堂製作

1935(昭和10)年 四色版印刷・紙 《茅ヶ崎市蔵》

 

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 「東洋一のサナトリウム」と謳われた南湖院(なんこいん)は、茅ヶ崎駅開設の翌年にあたる1899(明治32)年、感染病研究の医師であり、熱心なクリスチャンでもあった高田畊安(たかたこうあん)が創立した。当初は現在も残っている第一病舎だけで診療が始まったが、やがて規模を拡大し最終的には50000坪に及ぶ敷地に4500坪の建物面積を有する広大な施設となった。
南湖院には日光浴場や外気に接するための外気室が設けられ、プールやテニスコートといったレジャー施設から患者のための歯科、耳鼻科などの診療所を有し、院内電話(電報)室、院内スチーム暖房、売店など快適な入院生活を送るための工夫がとられたほか、最新式の喀痰処理システム、患者の衣類の殺菌洗浄など結核菌が広がらないための予防策も万全に施された。当時の結核治療は静養を第一とした自然治療なので、患者の食事は半搗米飯や胚芽米飯、鶏卵、牛乳、豆乳、肉類や野菜類をふんだんに使用した滋養に富んだものが採用された。また、毎年12月には創立記念日とクリスマスを兼ねた医王祭が開かれ、全国から招かれた著名人や地元住民にアトラクションや豪華な食事が提供された。そして記念品として用意されたお土産類の中に南湖院の絵葉書があった。
結核が不治の感染病として恐れられていた中で、南湖院では上記のような近代設備のもと手厚い看護ケアを行い、患者の治療に貢献していること、病院が感染源になっていないことを幅広く伝える必要があった。その点において情報が視覚で瞬時に伝わる絵葉書を宣伝媒体に選んだのは高田の慧眼と言えよう。
南湖院では数百種類におよぶ絵葉書が作られ、患者に使用を奨励したという。今回紹介する絵葉書もそのうちのひとつだったかもしれない。
7枚の絵葉書をつなげることで、巨大な施設のほぼ全体を見渡すことができるこのシリーズからは、南湖院だけでなく防風林として植えられた松の植林面積の広さにも驚かされるとともに、いかに周囲に南湖院以外の建物がなかったのかをうかがい知ることが出来る。南湖院による消費活動、また南湖院に通うために茅ヶ崎に移り住んだ患者やその家族のため、茅ヶ崎の飲食店や商業施設は発展した。茅ヶ崎駅に南口改札ができたのも南湖院の影響であるという。茅ヶ崎市の発展に大きく寄与した南湖院の様子を、残された絵葉書達は今に伝えてくれる。

この絵葉書のシリーズ全体図は2016年1月31日(日)まで「藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町美術展『絵はがきになった湘南の風景』」に展示されています。

(美術館 T.T)

<略歴 >

〈上方屋平和堂について〉
東京神田神保町にあった、絵葉書を主力商品として販売していた商店。初代店主は群馬県出身の岩瀬泰三郎。1900(明治33)年に私製葉書の使用が許可されるとすぐに製作販売を開始した、絵葉書商の最古参の一人である。また、蕗谷虹児や加藤まさをといったいわゆる大正抒情派の画家の作品を初めて絵葉書化して販売したのも同店である。絵葉書のほか便せんや封筒、古代エジプトやギリシャの彫刻の複製なども販売していた。
(参考文献:『絵画絵葉書類品附属品美術印刷製品仕入大観』/大日本絵葉書月報社/1925年)

 

 

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