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今月の1点 Monthly Pickup 4月

《銀座通夜景》 井上 安治 ( いのうえ・やすじ 1864~1889 )

1882(明治15)~1889(明治22)年 木版(多色)・紙/額装 縦9.5/横15.7(cm) 《茅ヶ崎市美術館蔵》

2014-3gatsu_400.jpg井上安治の師・小林清親(こばやし・きよちか 1847~1915)は1876(明治9)年、陰影法や明暗法をとりいれた西洋画風な風景木版画を刊行しました。従来の浮世絵の表現とは一線を画した清親の作品は、光線画と名付けられて人気を博します。この清親の一人目の弟子となった安治は1880(明治13)年に最初の木版画作品を刊行しました。その翌年、師・清親の光線画による連作「東京名所図」をはがき程のおおきさに縮小したような作品を26歳で亡くなるまで刊行し続けました。のちに「東京真画名所図解」とも称されるこれらの作品は現在134図が確認されています。このうち4割ほどが清親作品と酷似した構図によるものですが、この作品を含めた残りの作品は安治自身による創作です。
描かれている場所は現在の銀座三丁目の交差点あたり。中央の時計塔のある建物は1876(明治9)年頃に建てられた京屋時計店銀座支店(銀座4丁目東角)で、その左手は鹿児島出身の岩谷松平<いわや・まつへい>が郷里の物産品を商った薩摩屋(のち岩谷商会)があったあたりです(現在は銀座松屋が立地)。岩谷は1884(明治17)に天狗煙草のブランドネームで紙巻煙草の販売を開始、店舗も自宅も、そして自身が着用するコートや馬車も赤づくめにしたり、店の軒先に巨大な天狗面を掲げたり、新聞公告を出したりして人目をひき、宣伝を活用して煙草王と呼ばれました。
画中に天狗面や「天狗煙草」の文字があれば、この作品の制作時期は1884(明治17)年から安治が歿する1889(明治22)年のあいだに絞り込むことができますが、ここでは銀座通りをゆきかう鉄道馬車開業の年である1882(明治15)年を作品制作時期の上限としました。
京屋時計店の店内から漏れる光や街路灯の光、馬車鉄道の室内灯の光が開化の街・銀座の夜のにぎわいをいろどっています。画面左の帯状の光のなかのしゃがんでいるような人影は歩道での露店でしょうか。人々のざわめきや馬のいななき、車軸の軋みなどがきこえてきそうです。
この作品は企画展「井上安治生誕150年記念 絵師たちの視線<まなざし>―安治・清親・光逸―」に展示されますが、この展覧会では安治の「東京真画名所図解」全134図のほか、安治の師・清親の「東京名所図」を中心とする光線画の作品、そして安治の弟弟子で茅ヶ崎ゆかりの土屋光逸(つちや・こういつ 1870~1949)の代表作「東京風景」(全12点)などを展示します。

 (美術館 N.Y)

<略歴 >

井上清七の長男として江戸浅草並木町に生まれる。1878(明治11)年頃、小林清親の門人となる。1880(明治13)年、3点の風景木版画が刊行される。1881(明治14)年から歿年にかけて、のちに「東京真画名所図解」と称される連作が刊行される。この年、師の清親は光線画の制作をやめる。1884(明治17)年、探景の画号も用いはじめる。また、この頃から開化絵、風俗画、相撲絵、教訓絵なども手がけるようになる。1889(明治22)年、親族の印藤ますと婚約するが、9月14日、脚気に伴う心臓機能不全により逝去。享年、26。

 

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