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今月の1点 Monthly Pickup 3月

《朝子像》 椿 貞雄 ( つばき・さだお 1896~1957 )

1938(昭和13)年 油彩・キャンバス 縦23.7/横18.7(cm) 《茅ヶ崎市美術館蔵》

2014-3gatsu_400.jpg 椿の長女である朝子、14歳の頃の像です。父が描く娘の表情は、頬の膨らみや小さくつぼめた口元などあどけなさを残しつつも、何かを見つめるその視線からは未来を見据える大人の表情も垣間見られます。その一瞬の表情を見落とさぬよう、素早いタッチで丁寧に描かれています。
 1929(昭和4)年、師として仰いだ岸田劉生が亡くなり、劉生のたどった画業に従うように歩んできた椿も、次第に独自の表現方法を確立し、描く対象物の色彩が明るく、温かなものになっていきます。戦後は身近な家族、とりわけ孫たちを多く描くようになりました。
 人物が画面いっぱいに配されているこの作品は、元々は大きめのサイズで描かれていたようです。その理由として、描画後キャンバスをカットした形跡が残っています。左肩上の背景に署名が記されていることから、椿本人の意図的な処置によるものと思われます。余分な背景を取り除き、より顔の表情がクローズアップされた構図からは、愛娘への愛情の深さが感じらます。
この作品は、2014年4月2日から開催の常設展「新収蔵作品展」(2014年4月20日まで)に展示されます。 

 (美術館 S.T.)

<略歴 >

山形県に生まれる。1914(大正3)年に上京し、岸田劉生と出会い、後に師事する。1915(大正4)年、草土社創立同人となる。またこの頃より劉生を通じて武者小路実篤、長與善郎など白樺派との交流を深める。1920(大正9)年、劉生が住んでいた藤沢市鵠沼に椿も転居する(1922年まで)。1922(大正11)年、この年設立した春陽会の客員となるが、1927(昭和2)年の第1回大調和美術展参加のため脱退する。1929(昭和4)年、国画会会員となる。1957(昭和32)年歿。

 

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