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企画展

城田圭介 -写真はもとより PAINT, SEEING PHOTOS-

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消失する主体 拡張する静寂

写真と絵画を用いた独自な表現手法で知られ、海外にもコレクターが多く注目を集めているアーティスト、城田圭介の国内の美術館における初めての個展を開催します。
城田の制作は、何気なく撮影されたスナップ写真を基点とし、その周囲に拡がっているかのような架空の風景を描き足す絵画作品や、写真上の人物をあたかも消すように人物の部分をその背景描写で埋めた写真作品、そして、写真に写り込んだ人物だけを抽出し、油彩で描いた新作を発表するなど、多様な展開を示します。作品はいずれも写真をもとに制作されており、特筆すべきは、写真に写された風景や絵の具で描かれている人物が、現実的な関係性から切り離され、「何も」そして「誰も」存在していないかのような一貫した静けさをまとっていることです。現在、我々を取り巻く社会において、瞬く間に大量消費される写真。その膨大な情報の波に抗うがごとく、静かに佇み一心に制作する城田の姿勢が特異性をもって浮かび上がります。アーティスト・城田圭介という他者の眼差しを共有することで、見ること、感ずること、考えることを、鑑賞者一人一人が自らに問いかける機会となるでしょう。

 

 私は見る、私は感ずる、ゆえに、私は気づき、見つめ、考える
―ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』(みすず書房・花輪光訳)

 

※上画像: 《Acropolis of Athens #4》 2017年 油彩・板

 

 

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 左から、《A SENSE OF DISTANCE #12》 2003年 パネルに写真、アクリル     《Background #22》 2013年 写真に油彩

 

 

会 期 2019年12月14日(土) ~2020年2月11日(火・祝)
休館日 月曜日(ただし1月13日は開館)、12月28日(土)~1月3日(金)、1月14日(火)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで
観覧料 一般:500円(400円) 大学生:300円(200円)
※高校生以下、市内在住65歳以上の方・市内在住の障害者およびその介護者は無料
※(  )内は20名以上の団体料金
会 場 茅ヶ崎市美術館 展示室1・2・3
主 催 公益財団法人茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団

 

 

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関連イベント

申込制のイベントは、12月14日(土) 10時より、美術館受付または電話にてお申し込みください(開館時間内)

 

■アーティストトーク

城田圭介氏が自身の作品を解説します。

日時  ①2019年12月14日(土)16:00~(約45分)
    ②2020年2月2日(日)14︓00~(約45分)
    ※①は手話通訳付き
出演  城田圭介(アーティスト)
会場  美術館 展示室
料金  無料(要観覧券/申込不要)

 

■視覚身体表現で巡る鑑賞会

きこえないパフォーマーとともに作品を巡る鑑賞ツアー。

日時  2020年1月5日(日)14:00~(約40分)
出演  南雲麻衣(アーティスト)
料金  無料(要観覧券/申込制
定員  先着15名

 

■ギャラリートーク

展覧会担当学芸員、当館館長が会場を巡り、展示作品を解説します。

日時  ①2019年12月27日(金)
    ②2020年1月13日(月・祝)
    ③2020年1月26日(日) 各日14:00~(約45分)
担当  ①③藤川悠(当館学芸員)、②小川稔(当館館長)
料金  無料(要観覧券/申込不要)
※①③は視覚に障害のある方もご相談ください

 

 

城田圭介 Shirota Keisuke

1975年神奈川県生まれ、茅ヶ崎市在住。2001年東京藝術大学美術学部卒業、2003年東京藝術大学大学院修了
主な個展:2004年「A SENSE OF DISTANCE」ベイスギャラリー(東京)、2006年「オーバーラップ」ギャラリー・サン・コンテンポラリー(ソウル)、2008年ギャラリー・ステファン・ルプケ(ケルン)、ギャラリー・アーネス+ルプケ(マドリード)、2009年ベイスギャラリー(東京)、2010年ギャラリー・ステファン・ルプケ(ケルン)、2013年「Tracing / Background」ベイスギャラリー(東京)
グループ展:2004年「シェル美術賞展」代官山ヒルサイドテラス(東京)、2005年「VOCA 2005」上野の森美術館(東京)、2007年「Young Japanese Landscape」ヤングアートミュージアム(ウィーン)、2008年「写真ゲーム」川崎市市民ミュージアム(川崎)、2012年「フォトリファレンス・写真と日本現代美術」ベオグラード文化センター(ベオグラード)


城田圭介HP http://www.keisukeshirota.com/public.html/

 

 

アーティストステートメント  Artist statement

私はこれまで写真と絵画を使って制作を続けて来ました。その制作はいつも写真を「見る」ことからはじまります。ここでいう写真とは優れた写真家が撮ったような美学的/技術的に優れた写真のことではなく、例えば誰もが日常的に撮り、見るようなごくありふれた写真であったり、身近な機器で手軽に撮った些末な写真などのことです。なぜ私がこうした写真を使うかというと、日々撮影し、目にする写真にはそのような写真が膨大にあり、私達の日常や社会に浸透しているからです。その速度や量は、ときに見返すことすら困難にさせますが、そのような写真を見る視線や行為に実感を得たいのです。それは日々の生にリアリティを求めることに等しいと考えます。しかしそのような写真を提示しただけではそれはただの退屈で凡庸な写真を再確認するだけでしょう。それらの写真を意識的に見るために絵画、より正確に言えば「描く」行為が必要になりました。描くという行為は直接、その痕跡が露わになります。「見る」という視線自体は不可視なものですが、「描く」という可視的な痕跡が加わることで「見る」という見えない行為をより意識的に感じたいと思うのです。作品は近年いくつかの展開を示し始めていますが、基本的にはこの様な考えが通底しています。

写真と絵画(=西洋美術)、両者は日本では幕末~明治にかけて日本の近代化とともにほとんど同時に受容されました。西洋では写真の登場は歴史ある絵画の在り方を大きく変えましたが、日本では両者は海のものとも山のものともつかないまま同時に受容され、ただその迫真性に素朴に驚き、眼差しが刷新されたのだと思います。そうした眼差しは一方では日本の近代化と重なり合っていくのですが、他方では写真と絵画の出会いに当時の日本の表現者達は新鮮なよろこびを得ただけでなく、違和感や収まりの悪さも感じたのではないかと想像します。日本の近代絵画においてはその始まりから写真も同時に受容されていた。その経緯に立ち会った彼らの心情を想像し、自らの重なりを覚えることも確かにあるのです。

城田圭介(アーティスト)

 

Up to now, I have worked in the media of photography and painting. But my creative process always begins by looking at a photograph. I do not mean the famous ones taken by recognised masters, with aesthetic value and sophisticated skills. I mean those taken casually in daily life – the trifl ing images we produce with familiar equipment.I use photos precisely because they are socially ubiquitous. The quantity and velocity of new images is overwhelming, so it is sometimes diffi cult to look at them a second time. Yet I try to retain true feelings when I relook at them. To me, this is nothing less than the search for reality of everyday life itself.If I were to offer up these photographs, just as they are, viewers would register only their banality and mediocrity. It is, conversely, to force an act of conscious looking that I add to them aspects of painting, or to be precise, the action of drawing. This action shows the trajectory they have passed through. A gaze is invisible, but by adding visible traces in my inscriptions, I hope to return looking to the realm of the conscious. This is the common notion underlying all my work, and I have recently developed it in various new directions.

Photography and Western-style painting were introduced to Japan at the same time, during the latter days of the shogunate and early Meiji. In Western countries, that sort of painting already had a long history, which would be drastically altered by the appearance of photography. But in Japan both came simultaneously and were accepted indiscriminately. First and foremost, people were amazed by their shared realism, which, renovated the gaze. That conceptualisation went in parallel with the entire process of Modernisation in 19th-century Japan. Japanese creators were delighted by the novelty of photography and painting, but they must surely also have felt unease and disjunction.Thus, Western-style painting and photography were accepted in Japan, from the outset, in tandem. I seek to reconstruct what people must have felt as they witnessed the changes unfolding before them. I sometimes seek to impose myself into their thoughts.

SHIROTA Keisuke(Artist)

 

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