美術館について

ごあいさつ


 今年、茅ヶ崎市美術館では開館20周年を記念し年間企画に「版の美」のテーマを掲げ、近世から現代に至るわが国の版画芸術の歴史をたどります。プリンティング・アートは世界にみられるものですが「木版画」がわが国の文化史に重要な役割をはたしたことに改めて注目し、薄い「板」に載せられた豊かなメッセージを読み解く一年間の旅を来館者の皆様と始めたいと思います。

 国土の多くが森林に覆われたわが国の文化について樹木のかかわり抜きに語ることはできません。建築、仏像、漆工芸はいうまでもなく紙や墨など木材を主たる原料とする「書物」の歴史にも注目するべきでしょう。先祖たちは日常の知恵や喜怒哀楽の感情の記録を最初は手書きにより、やがて板に翻刻、印刷することを始めました。この「製版」の技術が開発されて難解な漢籍、仏典から庶民向けの草紙類にいたる膨大な書物の出版と社会各層への普及が可能となったのです。まさに、固い金属と柔らかな粘土の中間である日本の風土が生んだ素材「板」の特質によって、わが国の独自な市民文化が実現されたといっても言い過ぎではないでしょう。

 わが国の書物には文字ばかりでなく豊かな「絵(イメージ)」の情報が含まれていたことが重要です。世界に誇るべき市民芸術「浮世絵」の誕生のきっかけとして、庶民が楽しんだ挿絵入り本が母胎となり一枚摺の浮世絵が誕生したといわれます。やがて多色摺の大判錦絵、さらに三枚続きの大画面へと進化しながら浮世絵は老若男女の余暇に欠かせない同伴者となりました。この間、絵画作品としての芸術性がますます洗練されて北斎、広重に代表される絵師たちの評判が高まることになります。

 近世出版文化の一翼を担った浮世絵木版画ですが、明治維新という新局面を迎え変化を余儀なくされます。時代の世相を写し続ける本来の機能は新時代の社会の変動に対応し、新都市東京の町並や事件としての戦争など新しい画題に画家たちの力が試されることになりました。広報メディアとしての役割は写真印刷の普及により終ることになります。しかし、やがて木版画の複製芸術作品としての商品価値が、大正から昭和にかけて新たな道をひらくことになります。いわゆる「新版画」の時代です。当館の今年の版画の歴史への取組みは特にこの新版画の見直しに重点を置くことになります。都市市民の蒐集品として、あるいは海外への輸出品として一時期の人気を集めた新版画でしたが、モダンな外装に対し、浮世絵の時代から変らない特質も認めることができるのではないでしょうか。

 

2018年4月


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茅ヶ崎市美術館館長  小川 稔