美術館について

ごあいさつ

地表への探り針

 九代目市川團十郎は明治末期の茅ヶ崎に6千坪の別荘を設け、結局ここで没したのですが、妻の談によればそのころの浜須賀は広漠として砂山は急峻で腰を押してもらわなければ上れないほどだったといいます。今では想像もつかない風景ですがアスファルト舗装の下にそのような記憶が眠っているはずです。イサム・ノグチ少年と母レオニーの小さな家もこの近所に在りました。

 一方ここから一里ほど西に行けば馬入川の畔に柳島の地名があり、江戸末期この地の名主であり廻船業、また文人として名を残した藤間柳庵がいた場所です。柳庵の文書や書画コレクションは今も藤間家に、つまり地上に土地の記憶として遺されています。

 ここに隣接する南湖の地名にもやはり水辺の記憶が留められていますが多くの美術ファンにとって大正期の画家萬鉄五郎の終焉の地として知られているのではないでしょうか。湘南のイメージが全国に知られる前、茅ヶ崎海岸のものさびしくとも美しい光景は萬の水彩画により記憶に留められることになりました。

 茅ケ崎駅開設と前後してここに当時東洋一といわれた結核療養所南湖院が創設され、東京の文学者や画家が療養のために滞在したことは茅ヶ崎の近代文化史に一層の深みを加えることになりました。南湖院には日々の気候変化の見張り場として測候塔が建っていましたが萬鉄五郎は関東大震災時にこの塔が揺れ動くイメージをユーモラスに描きました。震える大地のイメージは単に土地が経験した天災の記録としてだけでなく時代の空気に内在した力の記録として見ることもできます。 

 Museum は美術館も博物館も包摂する概念です。地上、地下に広く散在する歴史、民俗、自然にわたる文化的記憶を知的資料に変じて市民と共有、観覧することを目指します。砂地から沼沢地へとジグソーパズルのように人と土地の個性は入り組んでいますが私たちのミュージアムはこれを繋いでジオラマ風に復元するのとは少し違う役割もあると考えています。

 総合的な「全体図」を回顧的に再現するよりは今でも地表に微かに見え隠れするモノや人を探し続ける見張り塔であり探査針でありたいと考えています。

 ところで茅ヶ崎市は今年、市制施行70周年を迎え、茅ヶ崎市美術館ではこれを記念しいつもと違う展覧会を企画しました。

 平坦な土地ゆえ自転車利用者の割合が多いこと、かつて大きな自転車生産工場があったことなどのゆかりから「自転車の世紀展」を春に開催いたします。 

 また茅ヶ崎市の姉妹都市として新たな友人となったホノルル市との交流事業として、「ホノルル美術館所蔵キルト展」を秋に開催いたします。それぞれに複雑な文化の地層をもつ文化間の一方向でない交流が始まろうとしています。どうぞご期待ください。

 

2017年5月

茅ヶ崎市美術館館長 小川 稔茅ヶ崎市美術館館長
小川 稔